物語牧場

映画やゲーム、漫画の感想なんかを載せていきます。

ありがとう『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』

はじめまして。島田と申します。

このたびブログを開設いたしました。主に映画の感想なんかを投稿していきたいと思います。

最初の投稿はこちらになります。

昨年12月22日に公開された『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』!!!f:id:telling-pig:20190103193952j:plain

 


年末から年明けにかけて計3回劇場で鑑賞してきました。結論から述べると最高でした。
ありがとう。そんな気分にさせてもらいました。

これから色々と感想を書き連ねていくのですが、あらすじやストーリーの要約といった内容はこの場では述べません。
そういった記事を書けるほど自分にスキルは無いのです。
ただネタバレはしてしまいます。すみません。

本作で語るべきは、平成ライダー20人の出演ではなく、野上良太郎こと”佐藤健氏”の出演でもない。
それは鑑賞した人なら大なり小なりと受け取ることになるであろうテーマにある。
それは『例え虚構であろうとも、そこで得た感動や興奮は経験となり、記憶となる。覚えている限りそれは決して無駄にはならない』という事だろうと思う。
大分自分で要約してしまったが、このメッセージがとても良かった。

今作のキーパーソンにアタルという人物がいる。彼は18歳の高校生なのだが、部屋は仮面ライダーのグッズに溢れており、いい年して仮面ライダーを楽しんでいる人物として
描かれている。彼は家庭環境に苦しみ「仮面ライダーなんて現実にはいないんだ。只の現実逃避さ」等と言ってしまう始末。
しかしその姿はどこか現実社会に生きる我々の姿と重なる部分が多い。

少し話がズレてしまうが、我々オタクとは面倒くさい生き物である。
好きな物に対する愛情は深く、好きな物を好きだと周りに言いふらしたいくせに、周りの目を気にして小さくまとまり同好の士を見つけては
マシンガントークかます
現実には仮面ライダーはいないし、ヒーローはいないフォースも無ければ、悪魔の実もないなんて当たり前に理解しているのに「そんなんまだ信じちゃってるの」なんて言われた日には
烈火の如く怒りふて腐れる。
自分語りが多くなってしまったが、要は虚構は虚構だと分かっていながら他人に指摘されると、どこか行き場のない感情を抱いてしまうのだ。
これはなんなんだとこれまで20数年考えてきたが、その答えのようなものを本作から貰った気がする。

ある程度大人になれば、否が応でも向き合わなければならない辛い環境や、目をそむけたくなるハードな現実も行き当たってしまう。
それでも僕らの記憶には仮面ライダーがいるし、ヒーローがいる。実際に彼らが現実や状況を打開してくれるわけではないけれど、記憶のどこかにいる彼らが勇気をくれる。
これでいいんじゃないかと。見た後になにかしらのプラスになる感情を持ち帰れれば、それで良かったのだと、私は思った。

本作の良かった点はテーマ性というか、メッセージにあると冒頭で述べた。
中盤に登場する野上良太郎のセリフも、最大最高の総勢20人のライダーによるアクションシーンも全てこのメッセージを語るために用意された仕掛けなのだ。

これまでにもライダー総出演映画というのは何作か作られてきた。しかし、それらの多くは『ただ出てきただけ』という印象が強く、
そのレジェンドライダーが本編で紡いだドラマや、その作品で本来は語りたかったであろうドラマを破壊してしまうことも少なくなかった。(ただそこまで破綻しているのは極少数だが)

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有名どころだとこの辺りかな。


しかし今作においては野上良太郎の再登場という要素が、物語ともテーマともしっかりとリンクしているのだ。
良太郎は出番こそ多くはないが、「僕たちは君の記憶の中に生きている。覚えている限りそれは現実なんだ」と語る。
その相手は今回の事件の渦中にいるアタルなのだ。記憶こそが時間というメッセージを本編で紡いだ彼が語ることに意義があると感じたし、彼にしか語れないセリフだったなと。

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このセリフは制作陣から佐藤氏へのセリフともとれるし、ファンから”仮面ライダー電王”という作品への思いともとれますよね。



多忙の中本作に出演してくださった佐藤氏には感謝しかない。本当にありがとうございました。

そして終盤、良太郎のセリフを受けたアタルは今作の敵キャラであるティードに対し「覚えている限りライダーはいる」と力強く語る。そして、事態に巻き込まれた市民を助けるという形で
レジェンドライダー達が具現化されるという奇跡が起きる。
ここで具現化したライダーたちはテレビで私たちが見てきたライダーという設定のようで、セリフは全てテレビ出演時のライブラリー音声を使用するという、徹底したファンサービスっぷり、最高である。
ライダー達の共闘シーンは『人である事をやめてしまった組』『炎の技を使う組』『高速移動が可能な組』と、それぞれの作品を知っているファンからするとニヤリとできる作りとなっており気が利いているなと感じた。
終盤にあるオールライダーキックシーンでも気の利いたファンサービスを見せてくれる。
従来の作品であれば、皆で一斉にジャンプしてキックをかますというのが基本であり、様式美と化しているわけだが、
今作においてはそれぞれのライダー達の個性を活かした連携シーンになっており、見ていてつい目頭が熱くなってしまう。

また、前作の主人公である桐生戦兎から、今作の主人公である常磐ソウゴに語り掛けるシーンもよかった。
中盤、自分たちが虚構の存在であるという現実を突きつけられたソウゴは激しく動揺するのだが、そんなソウゴに対し戦兎は「虚構であるかどうかは大して重要じゃない、存在するから存在する。おまえにもいつか分かる」語る。
ビルド本編序盤において作られた偽りのヒーローとして、ただの仮面ライダーごっこをさせられていた彼は仲間と共に仮面ライダービルドを創り、桐生戦兎を創ってもらった。
そんな彼が語るからこそ、このセリフが破壊力をもつ。
重要なのはどいう存在なのかとかではなく、誰の記憶に残るのかという事のだと。
一年間戦い抜き作り上げた新世界で相棒以外誰も自分の事を覚えていない彼が語るからこそ、このシーンは間違いなくビルドの後日談としても名シーンだと感じた。

そんな戦兎の姿を見たソウゴの「俺も戦兎達を忘れない」とまるで我々ファンの気持ちを代弁したかのようなセリフで今作は幕を閉じる。

総じて最高という印象なのだが、二度三度と鑑賞していくうちに、これはどうなんだろう?と思う部分がないではない。
例えばアナザーWが只のかませ犬になっちゃてるとか、ジオウ本編との整合性どうなってるんだろうとか、フータロスはどこから来たのか、などと気になる部分はそれなりにある。
しかしそれらの点を補って余りある物語の熱量に、私の脳はショートしてしまったのは事実である。

ここまで駄文を書き連ねてしまったが、今作はこの先のヒーロー史に燦然と刻まれる事になるだろう。
リアルタイムで鑑賞できたことをうれしく思うし、制作の方には感謝しかない。本当にありがとうございました。

最後に、今回初めて映画の感想文を書いてみました。
また、ブログの投稿というのも人生初になります。ご意見等ございましたら、何卒お手柔らかにお願いします。