物語牧場

映画やゲーム、漫画の感想なんかを載せていきます。

エンド/ゲームに備えよう!! 『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー ヒーローズ・ジャーニー』感想

 アベンジャーズ第4弾にして、おそらく事実上の最終章になるであろう『アベンジャーズ・エンド/ゲーム』は、ディズニーの徹底した情報統制により、全く展開が読めない状態だ。

 約10年に及ぶ一大巨編、映画界の在り方すら変えてしまった最強のユニバース映画。その最期が再来週にはやって来てしまう。

 ディズニーの徹底した情報統制は昨年に経験済みだが、今年も凄いことになっている。出演俳優は勿論のこと、制作陣の多くが「結末を知らない」と公言。公開された予告編にはフェイクのシーンが収録されているとの情報もある。しかも前作があんな終わり方をしたこともあり、この焦らしは効果てきめんである。

 そんな気分を紛らわすために、『インフィニティウォー』を見返す日々を繰り返してきた私の前に現れたのが本書であった。

 

 本書はインフィニティ・ウォーの前日譚という位置づけにあるが、実際はこれまでのMCUの歴史を振り返るというものである。

 スポットがあたるキャラクターは以下の3名+1組である。

キャプテンアメリカ

・ソー

ドクター・ストレンジ

ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー

である。そして、それぞれの物語の合間にアイアンマンこと、トニー・スタークの物語が語られる。

 どのキャラクターも今後の展開の趨勢を担う重要人物たちだ。

 本書では彼らのこれまでの物語を、本編で縁深いキャラクターの視点が振り返るというものだ。 

以下、公式のあらすじ

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大いなる脅威が、恐るべき軍勢を引き連れて襲来した。その名はサノス。この無慈悲な覇者が集めようと目論むのは、6つのインフィニティー・ストーン。地球と宇宙の命運は、スーパーヒーローたちにかかっていた!! 『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の背景で、アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ソー、ドクター・ストレンジ、そしてガーディアンズ・オブ・ギャラクシーが何を考え、どう動いていたのか――? ここでしか読めない、それぞれのヒーローの物語が、『インフィニティー・ウォー』に向けて疾走する! 『アベンジャーズ』ファン必読の1冊。

 ところで、ヒーローがヒーローたるには必須条件があると私は思う。それは、他者から認められ、そして、語られるというものである。

 キャプテンアメリカの高潔さを。

 ソーの王としての姿を。

 ドクター・ストレンジの希望を諦めない姿を

 ガーディアンズ達の愛を

 既に視聴者である我々は、それぞれの作品を通じて知っている。

 

 しかし、そこにまた別の角度から光が当てられる事によって、つまりは、本編とは違うキャラクターの視点から語られることによって、より彼らの姿を立体的に捉えられる。有体に言って"凄味”を味わえるのだ。

 

 まず最初に語られるのは、キャプテンアメリカこと、スティーブ・ロジャースだ。

 

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大戦中に当時のアメリカ政府によって生み出された超人であり、70年後の現代に蘇ってからはアベンジャーズの一員として、世界を崩壊の危機から救ってきた。シビルウォ―において、盟友のトニー・スタークと袂を分かち逃亡の身となる。

語り部となるのは、現代の彼の相棒である、ブラックウィドウだ。

彼女の視点から、スティーブのこれまでの物語が語られる。

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最強の暗殺者であり、アベンジャーズの一員。特殊能力を持たない人間だが、数多くの任務で培った暗殺術を駆使し戦いに貢献してきた。何かと個性の強いメンバーの緩衝材になることも多く、チームの縁の下の力持ち的ポジションにいる。

 幼少の頃からスパイになるよう育てられ、人を疑うように訓練されてきた彼女が、もう一度人を信じれるようになったのはスティーブの力による部分が多い。

 そもそもにおいて、スティーブは兵士としての肉体的素質を、何一つ持ち合わせていなかった男だ。しかし、虐げられ続けても勇気を失わず、戦う意思を示し続けてきたという不屈の精神を買われ、超人能力を手に入れることを許されたという経緯がある。
 弱さを誰よりも知る人物。故に、弱者を守ることに全力を注げる、正義を体現するに足りる人物であった。

 度重なる任務において、感情を殺し、相手を欺き、冷徹に仕事をこなす。そんな苦境のなかにいたナターシャ(ブラックウィドウ)からすれば、彼は正義の鏡であり、同僚となった現代では、道標のような存在になったのかもしれない。

 これまでのMCUでも、キャプテンアメリカは伝説の男として描かれてきたが、ナターシャの視点で改めて語られることで、いかに偉大であったかを語りなおすことに成功している。

 

  また、MCUの歴史においても大きな転換点になってしまったシビルウォー、その詳細は『キャプテンアメリカ/シビルウォー』にて語られたわけだが、本書ではナターシャの口から改めて振り返られた。

 劇中でのキャップの行動と、それに対する感想はまた別の形で記事にしたいので、ここでは割愛。

 要するにスティーブは、敗残者だったのだ。常に虐げられる存在であり、それゆえに優越感をもった人間とは折り合いが悪かったのだ。

 彼は超人血清を打ちスーパーソルジャーになり、アベンジャーズの一員として戦える

ようになった後も、根底にあった弱者としての原点と、それ故に常に弱者の味方で在ろうとする高潔さを失わなかった。

 彼が超人達を国連の管理下に置くというソコヴィア協定に、易々と賛成できなかったのには組織の腐敗を経験したことで、組織という枠組みに対して懐疑的であったこともあるが、それ以上に常に優越感をもった者たちの管理下に置かれ、国々の利益のために行動することができなかった。自分たちが掲げた正義に柵が設けられることに納得ができなかったのである。

 スティーブ・ロジャースは正しすぎる、それ故に最終的にはナターシャも、彼の側に立つ決心をした。

 本書では、協定に反対し逃亡者の身になったスティーブとナターシャ、そしてファルコンの三人が、人々のために戦っていた事実も語られる。

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インフィニティウォーでの登場シーンは、作中でも屈指の名シーンでしたね。

 トニーやバナーといった、化学技術に長ける人員がいない中で、かなり乱暴な、いや脳筋なやり方で大量破壊兵器を無効化する様子は、結構微笑ましいというか、エモいです。ナターシャが心底スティーブを信頼しているのが分かります。

 ここを踏まえると、インフィニティウォーの登場時における、阿吽の呼吸とも云える連携も納得力が増します。おススメです。

 

  お次はソー。

 

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神の息子であり最強のキャラの一角。単独作はこれまで三作品作られており、自らの強さに慢心して父の怒りに触れ人間界に落とされたり、弟と世界を巻き込んだケンカをしたり、ハルクと喧嘩したりと、豪快な部分が目立つが、優しさも持ち合わせており、アベンジャーズの仲間や、故郷の民からの信頼も篤い。初期作から比べると最も成長した人物と云えるかもしれない人。

 語り部ヘイムダルが務める。ソーが最も信頼を寄せる人物である。

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ソーの故郷アスガルドにある、虹の橋の管理者を務める男ヘイムダル。橋は九つの世界を自在に行き来できる転移装置のようなものである。ソーとは古くからの友人であり、お目付け役のような存在でもある。


 メインで語られる出来事は、ソー・ラグナロクでの事件である。

 本編ではソーが王として覚醒する物語だったが、ヘイムダルの視点から視ると、ヘラという脅威が迫る中、アスガルドの民を匿いつつ、ソーという英雄が助けに来るのを信じて待つ物語に再構成されている。

 初期の頃は傲慢で、力を持て余している印象も強かったソーだが、ヘイムダルはずっとゆくゆくはソーこそがいずれは王に成るのだと信じていた事が明かされる。

 ソーの物語は基本的に、ロキとの永い兄弟喧嘩を描いていたという印象もあったのだが、ヘイムダル視点だとよりヒロイックになっている印象になる。

 

 次にスポットがあたるのは、傲慢さだとソーを上回る俺様キャラのドクター・ストレンジだ。

 

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元々は世界最高峰の外科医だったが、事故により腕の神経に異常をきたしてしまう。ありとあらゆる手術を施したが、快方には至らず、藁にもすがる気持ちで魔術に接触する。修行中に巻き込まれた事件の後、没した師匠エンシェント・ワンの後を継ぐ。

 語り手はストレンジの兄弟子にあたるウォンが務める。

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魔術師の総本山であるカマ・タージで、魔術に関する書物の管理を務めている。戦闘力も高く、魔術師の長となったストレンジの相棒でもある。

 ストレンジの本編が一作しかない都合上、振り返りの文量は前二編と比較して少な目になっている。

 その代わりに本編の後日譚に重きを置いていて、エンシェント・ワンの後継者となったストレンジの戦いを、相棒のウォンが自らの手記に綴るという構成になっている。強大な敵に対して予想もつかない手段で対処し、それに振り回される相棒という、ホームズとワトソンのような構成になって、このあたりはストレンジを演じているベネディクト・カンバ―バッチ氏をリスペクトしての構成かと思う。

 

 これまではMCUの本筋と中々絡んでこなかったガーディアンズの面々にも、スポットがあたる。

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宇宙のならず者集団にして守護者?でもある彼らは、インフィニティストーンの一つ、パワーストーンを巡る事件で偶然出会い、仲間となる。その絆は強固で、ある種の疑似家族のようなものになっている。

 メンバーの一人であるガモーラは、インフィニティウォーの最重要人物サノスの娘である。当初は養父サノスの命令で、ザンダー星を滅ぼそうとする”ロナン”に従っていたが、企みを阻止すべく離反、パワーストーンが隠されたオーブを奪う。その後、成り行きで行動することなったピーターや、ドラックス、ロケット、グルートらと共にガーディアンズを結成し、ザンダー星の滅亡を防ぐことに成功する。

 この戦いで、彼女は自分の居場所を得ることになるのだが、報われる事のなかった人物がいる。

 それが今回の語り部となる、ネビュラである。

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義理の父であるサノスに引き取られ、幼い頃から戦闘訓練を施されえきた。義理の姉であるガモーラに対する恨みは根深く、強い殺意を抱くまでに至っている。

 ネビュラの視点からガモーラとの訓練の日々、ガーディアンズに加入し、自らの居場所を手に入れた義姉に対する愛憎入り交じった複雑な感情が語られる。

 読後にもう一度本編を見直すと、よりネビュラに感情移入できるようになる。

 

 そして最後に、トニースタークこと”アイアンマン”のこれまでの物語も語られる。

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天才発明家である彼は、アイアンマンとして自らの頭脳を世界平和実現のために使っている。国内外の人気はMCU随一であり、シリーズ全体の主役の一人でもある。

 アイアンマンとして、アベンジャーズの一員として世界の脅威に立ち向かっていた彼は、ニューヨークのチタウリ侵攻の折、迫りくる危機を知る。

 いずれ訪れる危機に備えて、人類を守る人工知能”ウルトロン”の制作に着手するも、反乱をおこされてしまい結果的には失敗、その後数々の戦闘の責任を追及されたアベンジャーズの面々は、ソコヴィア協定の調印を命令されるが、その先陣をきったのはトニーであった。彼は自ら正義にまつわる責任をとる為の行動であったが、意見が対立してしまったスティーブとの対決を招いてしまった。

 

 こうしてみると、トニーのこれまでの行いの多くがことごとく空回りに終わってしまっていることが分かります。今回の幕間の物語でも、サノスへの対抗策として、人工衛星の打ち上げを行っている描写もあるが、こちらもサノスの凶行を、結果的に防ぐには至らなかった。

 

 

おわりに

  本書はMCUのストーリーを別の視点で振り返ることで、それぞれの正義の在り方を描いていた。

 決別してしまったトニーとスティーブがどのように再開し、和解するのか

 民の多くを失ったソーは王に戻れるのか

 希望を常に失わず、運命に抗い続けたドクター・ストレンジが残した希望とは何だったのか

 恨み続けた姉を失い、元凶であるサノスに敗れたネビュラは復讐を果たせるのか

 エンド/ゲームでヒーロー達が、いかなる正義の下サノスに復讐(avenge)していくのか、その結末への期待が高まります。

 

 

www.youtube.com

 

OK!もう一回!もう一回だけ説明するね スパイダーバースは大!大!大!大傑作なんだよぉぉぉ!!

 


 公開から約一か月経とうとしている中、今更ながらの感想です。

 

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監督 ボブ・ペルシケッティピーター・ラムジーロドニー・ロスマン 脚本 フィル・ロード 出演者 シャメイク・ムーアジェイク・ジョンソンヘイリー・スタインフェルドブライアン・タイリー・ヘンリーリーヴ・シュレイバーリリー・トムリンマハーシャラ・

 評判以上、期待以上の出来栄え。公開から間もなくありとあらゆるメディアで紹介されており、第91回アカデミー賞の長編アニメーション賞を始め、数々の賞を受賞しています。こんなネットの場末にあるようなブログで紹介するまでもない大傑作なのは言うまでもないのです。 

 しかし、個人的に年間ベストなのでどうしても書きまとめた次第です。

 

 ざっくりとしたあらすじを紹介。

 アフリカ系の父とヒスパニック系の母を持つニューヨークの少年、マイルス・モラレスは、偶然スパイダーマンの能力を手に入れる。しかし、その能力はなかなかコントロールすることができない。
 そんな中、何者かによって時空が歪めらるという事件が発生。そこでスパイダーマンであるピーター・パーカーは死んでしまう。
 一方次元が歪められた影響で、異なる次元(マルチバース)で活躍するさまざまなスパイダーマンたちがマイルスの世界に集まってきてしまう。異なる次元が出身の彼らはマイルスの次元には長くいることができない存在であった。元の次元に戻るためにも、事件の元凶であるキングピンを追いつめる必要がある。マイルスは別次元のスパイダーマンである、ピーター・B・パーカーに弟子入りをし修業を始める。果たして、マイルスは仲間を元の次元に返せるのか、ニューヨークの平和はどうなるのか!!

 つまりは、正しく王道のヒーロー誕生譚である。

 何度となく見てきたヒーローのオリジンもの。王道故に、余ほどのことがない限り失敗するリスクの少ない明快なストーリーは、ほぼ万人に受け入れられると思われる。 

 しかし、本作が評価されたのはストーリーの明快さのみではない。まずは予告を...

 

youtu.be

  CGアニメーションだが、ストップモーションアニメのようであり、独特の色彩表現は立体的な空間演出と抜群の相性を示している。見たことのない映像の数々は、どのシーンを見ても楽しいと素直に思える。

 アメコミの映像化といえば、MCU作品を初めとする実写作品が代表的だが、人間が演じる以上CG表現と生身アクションの融合にならざるを得ない。勿論これがイヤなんてことはない。というか、もはや良い悪いではなく、こういう物なんだと。そこで現れたのが『スパイダーバース』だった。

 

 序盤にあるスパイダー能力に目覚めたばかりの主人公”マイルス君”があたふたするスラップコメディシーンは、まさしくドタバタコメディが繰り広げられる。マイルス君が壁に張り付いて剥がれられなくなる→やっと剥がれたらと思ったら今度は逆向きに壁に張り付いてしまう。以下数ループ...文字にすると何が何やらという感じだが、張り付いて剥がれて、また張り付くというアクションがコミックのコマのように一枚の画として表現される。このシーンのスピード感が、まるで自分がコミックを読んでいるかのようなスピード感なのだ。

 スパイダーマンの能力の一つに”スパイダーセンス”というのがある。簡単にいうと、物凄く発達した第六感である。これまでの映像作品においてはスローモーション演出などでこれを表現していた。今作では”何かを感じている波線”がキャラクターの頭上に現れる。この漫譜も非常グラフィカルに描かれている。

 他にも、キャラクターの影の部分に黒い斜線の効果が入っている。アクションシーンのキメにあたる部分では、黄色やピンクなどの派手な色使いを用いた線画が差し込まれたり、均一ではないキャラの輪郭線など、本作では「これは絵である。」という主張を打ち出している。

 中盤以降、異なる次元のスパイダーマンたちが登場すると、更に画風の幅が広がる。

 スパイダーノワールはモノクロ調で、ロボットの「SP//dr」を扱う少女ペニー・パーカーは日本のアニメ調で、スパイダーハムはカートゥン調で、と異なる表現技術が一枚の画に共存している。こんな離れ業ができて、かつ破綻していないのは、本作が作り上げた下地ともいえるマイルスの次元が非常にグラフィカルに描かれているからだと思われる。

 

 そんな映像の数々は登場キャラクターの存在感を、より一層忘れ難いものに仕上げている。

 

 まずは主人公のマイルス・モラレス君。いつものスパイダーマンにない、彼だけの能力を持っている。彼と家族との微妙な距離感は既視感を覚えた。すごく親しみやすく、まさに『あなたの良き隣人』を体現している。 

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本作の主人公。どこにでもいる普通の男の子として描かれている。とにかく可愛い、突如発現したスパイダー能力も思春期という言葉で片づけてみたり、敵施設の中で唄を歌ったりと、結構無茶な子。しかし、彼もまた”スパイダーマン”なのだ。それ故に、耐えがたい物を失うという悲劇を味わうことに...

  

 

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黒と赤のスパイダースーツって......カッコイイに決まってんじゃん。このスーツが出てくるタイミングも最高っす

 続いてはご存知ピータ・パーカー。今回はいつもの悩み多き青年ではなく、ちょいとダメな中年という役どころ。一番推せるキャラ。

 

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こちらは別次元のピーター・パーカー氏。マイルスの次元のピーターの死後、こちらの次元に迷い込んでしまった。元の次元では色々と失敗をしてしまい、やさぐれて激太りをしてしまっている。

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しかし彼もまたスパイダーマンである。成すべき使命を果たすべく戦いに赴く。また、未熟なマイルスの師匠として彼を鍛えるという良き兄貴分である。


 ヒロインのグウェンちゃん。アメコミファンには言わずと知れた悲劇のヒロイン。

 今回はスパイダーマンの一員として参戦。

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まさにクール&ビューティー!!必ず死んでしまうで有名なスパイダーマンシリーズのヒロイン。別次元ではスパイダーマンとして活躍していた。物語が始まる少し前にこちらの次元に迷い込んでいた模様。マイルスとは同じ私立中学校に通う同級生という間柄。

 

 

 モノクロの次元からやって来たハードボイルドなスパイダー・ノワールさん。トレンチコートが印象的。自分の次元にはないカラフルなルービックキューブを弄るという、キュートな一面も持つ。

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渋い!!今作のおじんキャラ。カラフルな色彩に囲まれた本作の世界観において、終始モノクロの男として描かれる。

 

本作におけるメカニック担当のペニー・パーカーちゃん。彼女が操るSP//drはベイ・マックスを連想してしまうが、これもスパイダースーツの一つの模様。アイアンマンのようなパワードスーツようなものである。

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相棒兼スーツのSP//drは感情表現のできる優れもの。彼女は日本の萌えアニメ風のデザインとして描かれている。

 最後はマスコット担当?のスパイダーハム君。彼の経緯は放射能を帯びた豚に噛まれたクモという、なかなかトリッキーな事情を持つ。ウェブスイングといったお馴染のアクションも難なくこなす彼は、紛れもなくスパイダーマン?なのだ......なのか?(笑)

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カートゥンキャラを連想させるお茶目なブタさん。懐から取り出すハンマーは、トムとジェリーのようである。


 まだまだ『スパイダーバース』には魅力的なキャラクターがたくさん登場する。

 歴代最強なんじゃないかと思われるメイおばさんや、愛情故にぎくしゃくした関係になってしまったマイルスの両親、マイルスが一番慕うアーロンおじさんなどなど。それぞれがお話の中で役割を果たしきっており、特にマイルスと父親がドア越しに向き合うシーンは名シーンである。
 

  また、吹き替え版の声優陣の演技が最高に素晴らしかった。特にピーターBパーカーを演じられた宮野真守さん。もはや、お家芸とも云えるおふざけ演技の数々は、本作でも健在であり、劇中のお笑いどころの殆どを担っているといっても過言ではない。

 宮野真守宮野真守しているといって伝わるだろうか?キャラとの実年齢が近いとのことで、シンクロ率高めなのも良かった。カッコ良くて、でもダメなおっさんという雰囲気が素晴らしかった。

 

 またエンドロール後には続編を匂わせるシーンが挿入されており、そこもまた爆笑シーンとなっている。

 続編やってくんねーかな~是非やってほしい。

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 本作の原案となったコミックです。今ならお買い得価格!!

 みんな大好きな”あのスパイダーマン”も登場

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読んだかね?みんな大好き地獄の使者さんッ!!!

 サントラも印象的な良曲が多かったです。特に2曲目に収録されているサンフラワーは、作中でマイルスによって歌われるのですが、屈指の爆笑シーンになっているので注目です。

 

 何度も何度も繰り返し観たいなと思える大好きな一作です。ソフト版が発売したら必ず購入します。

 

 

 

えっ!?疲れない!!『バンブルビー』感想 ネタバレ有

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あらすじ 自分の居場所を見つけられない思春期の少女チャーリーは、海沿いの小さな廃品置き場で、ボロボロの黄色い車を見つける。「バンブルビー」と名付け、修理したこの車が、やがて普通の車ではないと気づくのに、時間はかからなかったー。1987年、まだ地球は平和な生活を送っていた。その時までは。 監督 トラヴィス・ナイト 脚本 クリスティーナ・ホドソンケリー・フレモン 出演者 ヘイリー・スタインフェルドジョン・シナジョージ・レンディボーグ・Jrジョン・オーティスジェイソン・ドラッカーパメラ・アドロンステファン・シュナイダー等

 トランスフォーマーシリーズと言えば、巨匠マイケル・ベイ監督の大人気実写SFシリーズである。本作「バンブルビー」はそのスピンオフであり、シリーズの前日譚という立ち位置の模様。吹き替え版を鑑賞してきたので感想を述べさせてもらいたい。

 と、その前にシリーズ全体の感想をば少し......

 

 シリーズ全体への私の印象は「見た後必ず疲れる」である。というのも画面全体の情報量が圧倒的に多いからだ。

 オートボットと呼ばれる機械生命体は乗物形態と人型形態をもち、平時は乗物に擬態して人間社会に潜み、有事の際には人型形態に変形して戦闘をする。この変形がインチキもいいとこで、元の原型が何なのか分からなくなるくらいにグチャグチャに変形していく。(シリーズが進むにつれその傾向が強くなっていった気がする)そしてそのまま戦闘シーンへ移行していき、格闘シーンが始まるかと思いきや、逃げ惑う人々や、闘う軍人たちのミリタリー描写などが並行して描かれていく。ここに更に、無数の爆発シーンや、グロ・ゴア描写が足されていく。(特に三作目のダークサイドムーンはほんとに酷かった)

 情報量の多さはアクションシーンのみに留まらない、日常シーンですら悪趣味な下ネタや、ドラッグネタが盛り込まれているので、お茶の間で見ているとリアクションに困ることウケ合いのシリーズである。

 ここまで散々に言ってきたようだが、私はシリーズ否定派という訳ではない。この情報量過多な映画をたまに打ち込みたくなるような不思議な魅力があるのだ。

 尊敬するrhymester宇多丸氏は本シリーズを「二郎系映画」などと評していたが、まさにその通りという感じで、見た後に必ず疲れるのは分かっているのに、また見たくなってしまうのだ。不思議である。

 

 と前置きが長くなったが、本作のバンブルビーはそういった悪趣味描写などとは無縁

といってもいいほどに見易さ全開の娯楽作になっている。

 

 話の筋は『E.T』等の友好的な異星人とのファーストコンタクトものに、『グーニーズ』や『劇場版クレヨンしんちゃん』等の子供チームVS大人チームもの(このジャンル分けは正しくない気もするが...)を足した様なものになっている。

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物凄く(E.T)っぽいなと思ったシーン

 キャラクター描写もエモさ全開という感じ。特に、主役のバンブルビーに関しては徹底してキュートに描かれていている。でかい図体を持て余して、隅っこに体育座りに隠れて座るシーンなんて観ていて「かぁわい~い~」となることウケ合い。

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あっざとい

 戦闘シーンはこれまでの悪趣味はどこへやら、グロ・ゴアシーンは抑制されていたように思う。また、バンブルビーが軽量級の戦士であるのに対し、敵方のキャラは重量級の戦士が多く、相手の打撃を受け流して関節を極める。投げ飛ばされたまま車形態に変形し、その勢いを利用して戦線に復帰するといった、設定を活かした場面も多く新鮮味があったのも好印象だった。

 

 主人公のチャーリーと相棒?ボーイフレンド未満のメモ君の距離感も絶妙だった。恋愛関係になりきる手前の、一番イイ雰囲気のままエンドロールに突入するのも素晴らしい。

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しっかしこのメモ君(写真左の男の子)殆ど役に立っていない。しかし、そこも良い

 チャーリーちゃんは父親を亡くしたばかりで、高飛び込みの有名選手だったがショックから今は辞めてしまっている。挙句、母親の再婚相手とはギクシャクした関係になってしまい、冷戦状態といった具合。バンブルビーとの出会いを契機に徐々に人間関係も変化していき、最終的にはそれも解消していく。

 

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この別れもまさに王道といった具合。

 

 音楽も昨今のエンタメ映画では流行の80sポップをバックに流して、画面の展開や今後の流れとリンクさせていく使い方が多かった。その界隈には疎いのであまり語れないのだが......

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 また、今作はシリーズの前日譚という立ち位置だが、言い訳めいていないというか、過去作との整合性をきっちりしていないのも個人的には好みだった。これがMCUとかだと話が違うのだが、元のシリーズが後付けのオンパレード状態なので整合性をとるのが不可能だったのかもしれない。バンブルビーとチャーリーの関係性にこそに重きを置いている。きっちりと一つの作品として終わっているので、そこが良いと感じた。

 色々と突っ込みどころが多くて、見ていて「えっ!?」となる部分もあったが、なんだか嫌いになれない可愛らしい映画でした。

 

 

あと1週間か、キングダムハーツ3への期待と不安のお話

 こんにちは島田です。今回はキングダムハーツシリーズの思い出を振り返りつつ、発売一週間前の自分の気持ちとしての備忘録として記録していくものとなります。愚痴っぽい内容になるかもですがご容赦ください。

 

 個人的に今年2019年は、様々な長年楽しんできた物語が一つの大きな区切りを迎える一年になっている。映画なら2008年に公開された『アイアンマン』より約11年間見続けたMCU(マーベルシネマティックユニバース)の大作である、アベンジャーズシリーズが『アベンジャーズエンドゲーム』(4月26日公開予定)で完結する。また、2015年よりスタートした『スターウォーズ新三部作』の最終作も年末に公開予定だ。

 

 で、キングダムハーツだ。(以下KHと記載)

 この記事を書いている段階で、KH3の発売は一週間後と秒読みが始まっている。

 様々な情報が解禁されている。ネット上ではPVが、テレビではCMも始まり、都内では同作の広告看板や街頭モニターでCMがうたれている。ゲーム雑誌でも大きく取り上げられ、まさにお祭り状態である。長年続いてきた大作の完結とあっては当然といえるのだろう。

 私はKHシリーズをPS2で発売された第1作からプレイしている。出会いは小学3年の冬、その年の誕生日に買ってもらってから今に至るまで、新作がでる度に発売日に購入し楽しんでいる。そんな私にとって、今回のKH3の発売というのは今までとは事情が違う、シリーズの総決算になるわけだし、人生の大半の時間を楽しんできた作品の終わりというのはなんとも寂しいものだからだ。

 

 先日、こんなCMが解禁された。 

KINGDOM HEARTS III CM 120秒スペシャルVer. - YouTube

 世界中のファンたちによる同作にむけた愛のあるメッセージの数々が、主題歌”光”オーケストラバージョンと共に紹介される。

 

 泣いてしまった。だって俺も同じだから。同じ気持ちなんだだよ

 

 この16年間で自分は沢山のものをキングダムハーツから貰った、過去作をプレイしていると、それぞれの作品にそれぞれ思い出があります。

 当時の自分にはKH1は難しくてクリアまで1年以上かかったな、KH2FMは中学生の頃に発売して、部活をサボってクリアしたなとか、358/2やBBSが発売した頃は高校生で、お昼休みはみんなでアリーナモードを攻略してたな、コーデットで詰んで修学旅行中の夜に友達にクリアしてもらったこともあった、3Dの発売前にファミレスで朝までストーリー予想したのは高校の卒業間近だったな。3の制作が発表された時は留学中で、ルームメイトのアメリカ人と一緒に朝まで盛り上がったな。

 まだまだ思い出は尽きない。それぞれの攻略本はどの本屋で買ったのか、ブラスバンドコンサートは当時付き合っていた彼女と一度破局した直後にも関わらず、無謀にも誘って付いて行ってもらったとかとか。

 ほんとうに尽きない。思い出がありすぎる。作品を通じて沢山の友達ができたし、時には国境さえも超えた友情を作るきっかけにもなったし、KHシリーズのもつ素晴らしさをリアルタイムで体験してきた。

 それ故か今作には少し不安がある。

 それは単に完結が寂しいというのではなく、長年積み上げてきた期待値に見合う有終の美が見られるのか。というものだ。

 

 そもそもKHシリーズは、ナンバリング作品と外伝作品を含めると7作品以上あり、それぞれが密接に物語として密接に絡み合っている。しかもそれら全てが別々のハードで発売されているのも特徴の一つだ。近年全ての作品がPS4でプレイできるように整備されてはいるものの、新規参入が難しいような印象はある。

 時系列をまとめるとこんな感じ(以下wikiからの引用)

 

 

 

 うーん分かりづらい。しかしこれ以上のまとめ方は分からない。

 これに加えてファイナルチャプタープロローグ(PS4)がある。 

 

 それぞれ作品が発売されるまでの期間がかなり空いているのも辛さを感じるポイントだ。現状、時系列上で一番進んでいるのは3Dなのだが、クリアしたのが2012年だったと記憶しているので約7年前になる。その間スマホゲームやリマスター版が発売、Ⅲの続報が一定間隔で解禁されるなど、熱が冷めないように調整されてきた感はあるものの、長すぎた。

 いつの間にか、いままでのお話は『ダークシーカー編』という副題がつけられて、シリーズの継続は示唆されるようになった。色んな事情は察せられるものの、これがⅢで話がきれいに終わるのか不安になる要素である。

 また、昨今の業界事情の変化も不安要素だ。あまりそちらの知識に明るくはないが、ダウンロードコンテンツによる新しい拡張方式を多くのゲームが採択する流れは、確実にKHにも起きるであろう(事実、シークレットムービーは特定条件を満たしたプレイヤーのみが、後日配信されるデータをダウンロードすることで視聴できるようになる仕様)

 KHシリーズとも関わりの深いファイナルファンタジーシリーズの最新作『FF15』でも、このダウンロードコンテンツを積極的に配信してきたが、結果は不評であったと言わざる得ないだろう。気になる方は調べてみてほしい。

 KH3とFF15は開発的には兄弟作のようなものであると個人的には思っていて、開発開始の報道から、発売までに時間がかかったことも、プロデューサーが共通していたりするとこも兄弟感があると思う。FF15の詳細な感想は別として、クリア直後に去来した感情はなんとも言葉にできないものがあった。「え?こんな感じなの?散々待ってたのに、これって…」という具合。高くなってしまった期待値と、実際にプレイしてみての感想との間に大きな溝ができてしまったのだ。

 この一件でKH3に対して不安感を抱いてしまったのである。

 FF15クリア直後の当時は、待ったぶんの時間を返せとすら言っていた。溜まった鬱憤を晴らすように、ネットにアンチコメを投下したこともあった。

 振り返ると不毛な事をしていたなと思うし、プレイ後にいくら嘆こうが、発売まであーだこーだと友達と盛り上がった時間の豊かさは消えないし、良アプデの数々もそれはそれで楽しめたし、今では良いゲーム体験になったと思っている。この体験を糧にして、KH3をプレイして仮に自分が何を思おうとも、待っていた時間の豊かさまでは否定したくないなというのが今の気持ちだ。

 

 KHシリーズに限らず、アベンジャーズスターウォーズにも、このような気持ちで臨みたいと思う。否定的感情を、待っていた時間の豊かさで包んで受け入れる気持ちを持とうと思う。

 

 ウダウダとまとまりのない文章になってしまったが、先に言っておこう。

 ありがとう。マジで良い16年間過ごせました。本当にありがとうございました!!

 

 

 

 

呪われた愛の物語READING HIGH「Chevre Note シェーヴルノート Story from Jeanne d'Arc(ジャンヌ・ダルク」感想


こんにちは島田です。

先週末1/12に行われた シェーヴルノートという朗読劇を鑑賞してきましたので、その感想です。

アニメのイベント等で朗読を楽しんだことはありましたが、全編朗読というのは初めての体験だったので、声優の方々の演技や、劇の演出、音楽等の要素が美しく融合した空間というのは新鮮であり、ストーリーの切なさも相まって終始感動しっぱなしの時間を過ごせました。とても良い体験になりました。今回は簡単な感想を書いていきます。また、今回の朗読劇はソフト化もされるとのことなので、ネタバレはできる限り避けようと思います。

 

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■原作・脚本・演出:藤沢文翁音楽監督:村中俊之 ■キャスト:中村悠一(ジル・ド・レ) 梶裕貴(アランソン公) 沢城みゆきジャンヌ・ダルク梅原裕一郎(ラ・イル) 津田健次郎(シャルル7世) 諏訪部順一(リッシュモン大元帥大塚明夫グラシャ=ラボラス

 

 

あらすじはこんな感じ。

1440年9月15日フランス中がある男の裁判に釘付けとなっていた。彼はフランス屈指の名門の家柄にしてジャンヌ・ダルク軍に属し、フランスを勝利へと導いた最大の功労者しかし、ジャンヌ・ダルクイングランド軍に捕縛され火炙りの刑に処せられると、正気を失い、悪魔と契約したとされている。男の名はジル・ド・レ今、世界で最も呪われた愛の物語が幕をあける……

 

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お土産に台本とプレイボタンを購入。プレイボタンは初日昼公演の模様が全編収録されています。通販で購入できるようです。


 歴史上に現れた”英雄”と称えられる人間は数多くの伝説を残している。しかし、その伝説を正しく観測してきた人物はいないだろう。過去に目を向け、あらゆる可能性を夢想することは豊かな体験であり、故に歴史にはロマンがある。というのは昔読んだ本に書いてあった言葉である。

 今作は百年戦争の時代に、フランスに現れた聖女ジャンヌ・ダルクの伝説が作られた、偽りのものであったらという。所謂、”歴史上の人物たちは実はこんな人でした”とでもいうか、陰謀論のようなものでもある。と私は思った。


 救国の為の象徴としてジャンヌ・ダルクを作り上げ、国王として君臨した後に彼女を見殺しにしたシャルル7世と、その腹心のリッシュモンド元帥の謀略。

 ジャンヌの戦友として戦場を駆け抜けたジル・ドレと、その仲間達の青春の模様。

 彼女の死後、悪魔と契約し、ジャンヌ復活の為に魔法を行使する対価として、自らの”忘れ難き記憶”の数々を犠牲にしながら奮戦するジルの姿が、時系列を入り交じえながら描かれる。史実で語られるジル・ドレとはまったく違う、不器用で優しい男の、犠牲に満ちた物語はただただ悲しく、そして感動的でした。

 

 

 そんなジルを演じたのは中村悠一さん!!私も大ファンであり、今作を鑑賞しようと思ったきっかけでもあります。今作では『騎士としてのジル』『廃人と化したジル』『徐々に記憶を失っていくジル』などを瞬時に演じ分けておられました。会場で観劇できたことを幸運におもいました。

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今作では2幕以降魔法の詠唱シーンが多くあり、中2病感満載な呪文の数々はきっとノリノリだったに違いないと妄想

 始めはただの詐欺師にすぎない少女だったが、救国の聖女として祭り上げられるも、自らの嘘に命を懸け兵士を鼓舞する姿はジルを初め仲間達の気持ちを動かしていく。やがて英雄になるも、最後は悲劇の末路を迎えてしまうジャンヌを演じたのは沢城みゆきさん!!

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詐欺師の少女として悪態をついていたと思えば、次の瞬間には聖女として神の御言葉を告げる。こちらの演じわけも圧巻でした。

 ジルの親友として共に戦場を駆け、後に訪れたジルの裁判では彼の無実を主張し続けるも、やがて悲劇的な運命に対峙することになるアランソン公を演じたのは梶裕貴さん!!

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梶さんの叫び演技がある作品に外れナシ!!と提唱し続けていたのですが、今作においても叫びはあり、そのシーンは今作必見の場面であります。

 序盤から暗躍し、ジャンヌ・ダルクを作り上げた諜報人であるリッシュモンド元帥を演じたのは諏訪部純一さん!!
 

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リッシュモンドの心情は、中盤以降に静から動に切り替わる瞬間があります。その瞬間をこの目で目撃できたいへん幸福でありました。

 戦場を知らず宮殿に籠り続け、ジャンヌを利用し王に成るや、彼女を見殺しにしたことから、ジルと対立することになるシャルル7世を演じたのは津田健次郎さん!!

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序盤から人を食ったような言動をかまし、あーこの野郎いつかバチがあたるなと願わずにはいられない位嫌味な演技で魅了されました。いやーしかし生で拝見するとイケメンでしたわー

 ジルの忠実な部下であり、平時の紳士然とした言動からは想像もつかない程に、戦場では荒れた言動が目立つラ・イルを演じたのは梅原祐一郎さん!!

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終盤のとあるシーンでは梅原さんの演技に泣かされました。正直、展開事態は「べただなー」なんて思ったりはしてしまうのですが、悲痛な演技というかそれまで抑制されていたものが、一気に表層化する瞬間は名シーンでした。

 そして最後は、ジルと契約し、彼の『忘れ難き記憶』を対価に魔法を貸す悪魔グラシャ・ラボラスを演じたのは・・・大塚明夫さん!!!!スネーークやっほい

 

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声に宿る圧倒的ラスボス感!もう唯一無二ですね。今作ではコミカルな面も演じられており、どこかマスコット感すら感じてしました。いや、恐いキャラなんですけどね。大塚さんならではだと思います。

 鑑賞後は、自分なら今作のジルのように『忘れ難い記憶』を売ってでも叶えたい願い、なんてあるかななんて思ってしました。ジルがジャンヌに見出していた希望というのは計り知れないものだったんですね。

 

 また、今作では音楽が生演奏で鑑賞でき、その豪華さに感動しました。シーンごとにぴったりの音楽が流れ、プレイボタンで繰り返しなんども聴いています。特にオープニングと幕の切り替え時の局はボーカル曲なのですが、女性の高音とギターサウンドが高揚感を上げてくれます。YouTube視聴できる今作のPVでも使用されている音楽になりますので興味を持たれた方は是非!!

www.youtube.com

 

 

まだまだ書きたいことは沢山あるのですが(ストーリーのネタバレ感想や衣装、豪華な舞台装置や特殊効果など)そちらはソフト購入後にでも、また感想を書けたらいいなと思います。では

ありがとう『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』

はじめまして。島田と申します。

このたびブログを開設いたしました。主に映画の感想なんかを投稿していきたいと思います。

最初の投稿はこちらになります。

昨年12月22日に公開された『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』!!!f:id:telling-pig:20190103193952j:plain

 


年末から年明けにかけて計3回劇場で鑑賞してきました。結論から述べると最高でした。
ありがとう。そんな気分にさせてもらいました。

これから色々と感想を書き連ねていくのですが、あらすじやストーリーの要約といった内容はこの場では述べません。
そういった記事を書けるほど自分にスキルは無いのです。
ただネタバレはしてしまいます。すみません。

本作で語るべきは、平成ライダー20人の出演ではなく、野上良太郎こと”佐藤健氏”の出演でもない。
それは鑑賞した人なら大なり小なりと受け取ることになるであろうテーマにある。
それは『例え虚構であろうとも、そこで得た感動や興奮は経験となり、記憶となる。覚えている限りそれは決して無駄にはならない』という事だろうと思う。
大分自分で要約してしまったが、このメッセージがとても良かった。

今作のキーパーソンにアタルという人物がいる。彼は18歳の高校生なのだが、部屋は仮面ライダーのグッズに溢れており、いい年して仮面ライダーを楽しんでいる人物として
描かれている。彼は家庭環境に苦しみ「仮面ライダーなんて現実にはいないんだ。只の現実逃避さ」等と言ってしまう始末。
しかしその姿はどこか現実社会に生きる我々の姿と重なる部分が多い。

少し話がズレてしまうが、我々オタクとは面倒くさい生き物である。
好きな物に対する愛情は深く、好きな物を好きだと周りに言いふらしたいくせに、周りの目を気にして小さくまとまり同好の士を見つけては
マシンガントークかます
現実には仮面ライダーはいないし、ヒーローはいないフォースも無ければ、悪魔の実もないなんて当たり前に理解しているのに「そんなんまだ信じちゃってるの」なんて言われた日には
烈火の如く怒りふて腐れる。
自分語りが多くなってしまったが、要は虚構は虚構だと分かっていながら他人に指摘されると、どこか行き場のない感情を抱いてしまうのだ。
これはなんなんだとこれまで20数年考えてきたが、その答えのようなものを本作から貰った気がする。

ある程度大人になれば、否が応でも向き合わなければならない辛い環境や、目をそむけたくなるハードな現実も行き当たってしまう。
それでも僕らの記憶には仮面ライダーがいるし、ヒーローがいる。実際に彼らが現実や状況を打開してくれるわけではないけれど、記憶のどこかにいる彼らが勇気をくれる。
これでいいんじゃないかと。見た後になにかしらのプラスになる感情を持ち帰れれば、それで良かったのだと、私は思った。

本作の良かった点はテーマ性というか、メッセージにあると冒頭で述べた。
中盤に登場する野上良太郎のセリフも、最大最高の総勢20人のライダーによるアクションシーンも全てこのメッセージを語るために用意された仕掛けなのだ。

これまでにもライダー総出演映画というのは何作か作られてきた。しかし、それらの多くは『ただ出てきただけ』という印象が強く、
そのレジェンドライダーが本編で紡いだドラマや、その作品で本来は語りたかったであろうドラマを破壊してしまうことも少なくなかった。(ただそこまで破綻しているのは極少数だが)

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有名どころだとこの辺りかな。


しかし今作においては野上良太郎の再登場という要素が、物語ともテーマともしっかりとリンクしているのだ。
良太郎は出番こそ多くはないが、「僕たちは君の記憶の中に生きている。覚えている限りそれは現実なんだ」と語る。
その相手は今回の事件の渦中にいるアタルなのだ。記憶こそが時間というメッセージを本編で紡いだ彼が語ることに意義があると感じたし、彼にしか語れないセリフだったなと。

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このセリフは制作陣から佐藤氏へのセリフともとれるし、ファンから”仮面ライダー電王”という作品への思いともとれますよね。



多忙の中本作に出演してくださった佐藤氏には感謝しかない。本当にありがとうございました。

そして終盤、良太郎のセリフを受けたアタルは今作の敵キャラであるティードに対し「覚えている限りライダーはいる」と力強く語る。そして、事態に巻き込まれた市民を助けるという形で
レジェンドライダー達が具現化されるという奇跡が起きる。
ここで具現化したライダーたちはテレビで私たちが見てきたライダーという設定のようで、セリフは全てテレビ出演時のライブラリー音声を使用するという、徹底したファンサービスっぷり、最高である。
ライダー達の共闘シーンは『人である事をやめてしまった組』『炎の技を使う組』『高速移動が可能な組』と、それぞれの作品を知っているファンからするとニヤリとできる作りとなっており気が利いているなと感じた。
終盤にあるオールライダーキックシーンでも気の利いたファンサービスを見せてくれる。
従来の作品であれば、皆で一斉にジャンプしてキックをかますというのが基本であり、様式美と化しているわけだが、
今作においてはそれぞれのライダー達の個性を活かした連携シーンになっており、見ていてつい目頭が熱くなってしまう。

また、前作の主人公である桐生戦兎から、今作の主人公である常磐ソウゴに語り掛けるシーンもよかった。
中盤、自分たちが虚構の存在であるという現実を突きつけられたソウゴは激しく動揺するのだが、そんなソウゴに対し戦兎は「虚構であるかどうかは大して重要じゃない、存在するから存在する。おまえにもいつか分かる」語る。
ビルド本編序盤において作られた偽りのヒーローとして、ただの仮面ライダーごっこをさせられていた彼は仲間と共に仮面ライダービルドを創り、桐生戦兎を創ってもらった。
そんな彼が語るからこそ、このセリフが破壊力をもつ。
重要なのはどいう存在なのかとかではなく、誰の記憶に残るのかという事のだと。
一年間戦い抜き作り上げた新世界で相棒以外誰も自分の事を覚えていない彼が語るからこそ、このシーンは間違いなくビルドの後日談としても名シーンだと感じた。

そんな戦兎の姿を見たソウゴの「俺も戦兎達を忘れない」とまるで我々ファンの気持ちを代弁したかのようなセリフで今作は幕を閉じる。

総じて最高という印象なのだが、二度三度と鑑賞していくうちに、これはどうなんだろう?と思う部分がないではない。
例えばアナザーWが只のかませ犬になっちゃてるとか、ジオウ本編との整合性どうなってるんだろうとか、フータロスはどこから来たのか、などと気になる部分はそれなりにある。
しかしそれらの点を補って余りある物語の熱量に、私の脳はショートしてしまったのは事実である。

ここまで駄文を書き連ねてしまったが、今作はこの先のヒーロー史に燦然と刻まれる事になるだろう。
リアルタイムで鑑賞できたことをうれしく思うし、制作の方には感謝しかない。本当にありがとうございました。

最後に、今回初めて映画の感想文を書いてみました。
また、ブログの投稿というのも人生初になります。ご意見等ございましたら、何卒お手柔らかにお願いします。